my swedish

スウェーデン語教師。スウェーデンの田舎生活で日々感じることを綴ります。

【移民社会スウェーデン】デスノート

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友達に「デスノート見たことある?」と聞かれた。
「ない!」私は答えた。「面白いと?」
「めっちゃ面白いよ。今から見てみる?」
「おーいいね。」

ここまでは普通の話。

普通でないのは、

ここで私にデスノートを勧めたのは、
日本人ではなくシリア人だったということ。
そしてここは日本ではなくスウェーデン。

彼女の母国語はアラビア語。
私の母国語は日本語。
私たちは共通言語スウェーデン語で会話する。
でも私たちは、たまにお互いの母国語で
話そうとしてみるという関係を持っている。
めちゃくちゃに意味がわからなくなって
笑い転げるというのが前提で。

私はアラビア語でほぼ何も言えないのに
友達は、なぜか知っている
「ワカリマシタ」「ハイ」などと言ってくる。

なぜそんな言葉を知っているのかと
尋ねたとき、友達はアニメのデスノートを
見ていたという話になったのだ。
「私コナンも好き」友達は言った。

アメリカやヨーロッパで
アニメが見られていることはもちろん知っていた。
でも、それがアラブの世界でも楽しまれている
というのはあまり考えたことがなかった、
と気づきハッとした。

友達に私もデスノート見てみたいと言うと
Youtubeでアラビア語検索し
デスノートを見つけてくれた。

私は聞こえてくる日本語の音声で、
友達はアラビア語で書かれている字幕で、
同じものを見て、理解し、
スウェーデン語で感想を言い合った。

日本のアニメはやっぱりすごい
なんていうことよりも、

一つの言語で生活することが
私にとっても、世界にとっても、
年とともにどんどん少なくなっていく。
知っている言語が増えると、
その先にさらに自分が知らない言語が、文化が、
山ほどあるということを知る。
そういう生活では、自分がいかに
「同じ」よりも「違い」に囲まれているかを
意識せざるを得ない。

しかし、しばしば予期せぬところに、
共通点を見つける。
共通の理解を築こうとする努力の種が、
たまには実らず、たまには実る。
そんなとき、どんなに小さくても、
共通点を見つけたときの安心感や喜びは
言葉に代え難い。

完全なる理解は程遠いし、
厳密に言えば無理なのだろう。
どうしても互いへの限られた理解しか
得られないのだけれど、
小さな努力を積み重ねるほか、ない。

「デスノートみたいなもの本当にあると思う?」
やけに真剣に友達は聞いた。
「いやあ、ないやろうと思うよ」
私はポテチを食べながら答えた。
「ふうん」
私は友達に自分自身はどう思うのか聞くのを忘れた。
なぜあんなに真剣に聞いたのだろう。

デスノート、面白かった。