my swedish

スウェーデン語教師。スウェーデンの田舎生活で日々感じることを綴ります。

素敵なホットドッグ


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ホットドッグを注文した。

コールスロー、赤玉ねぎの酢漬け、

ソーセージがパンに乗って出てきた。

 

なぜかとってもおしゃれ。

ナイフとフォークでいただく。

酢漬けの玉ねぎがおいしい。

 

(場所)

Brunkulla Gård

Fannby, Östersund, Jämtland

http://www.brunkullagard.se/

【語学スウェーデン語 発音】Yの発音

はじめに
スウェーデン語の母音vokalerは9つあります。
(a, i, u, e, o, y, å, ä, ö)
対して、世界の多くの言語と同じように
日本語の母音は5つ(あ、い、う、え、お)。

日本人がスウェーデン語の母音の発音を学ぶとき
考えないといけないのは、
スウェーデン語には日本語にはない音が
4つもあるということ、そして
スウェーデン語と日本語に共通する音でも
同じ音の出し方ではないということです。

今日は、日本語にはない音の一つ、Yについてです。

はっきり発音できてる?
Yの発音に自信がありますか?
長いY [yː] kyl, flyta, nys, tyda
短いY [ʏ] kyss, flytta, nyss, tyska

自分のYの発音が、IやUに聞き間違えられた
という経験がありますか?

Nyと言っているのにNi? Nu?と聞き間違えられたり。
Flyttaと言いたいけどFlittaと言ってしまったり。
FyraとFira、Furaの区別が曖昧だったり。

Yの発音の特徴
知っておくべきことがあります。
Yは、rundade vokalerの一つです。
Rundadeとは「唇を丸める」ことですが
つまり唇を前に出すことで出る母音なのです。

唇を前に突き出すと、
前歯と唇の間に空間が大きくなります。
ここにできる空間によって、
出る音の質が変わるのです。

Yは、Iという音を出しながら
唇を前に突き出すと出ます。

スウェーデン語のIとYの違いは
唇を前に出すか出さないかだけです。
だから、スウェーデン人ではない人の発音で
YをIと発音している人が多いのです。

日本語風発音に気をつけて
ここでひとつ注意点。

まず、Iという母音は日本語にもありますが、
スウェーデン語のIは、口角をより横に広げます。

日本語で「い」と発音するとき、
滑舌によっぽど気をつけていない限り
前歯は上下ほぼくっついていつつも
唇はちょっとだけだらっと開けた程度で発音します。

スウェーデン語のIを発音するときは
唇の端をできるだけ横に伸ばすことを意識します。笑顔!

これは、実はYの発音をする上でも大事です。
唇の端を横に伸ばすことを意識せずに唇を前に出すと、
唇が若干すぼみ過ぎてしまい、
もしかするとスウェーデン語のUに聞こえかねないからです。

Nyは、日本語風に言えば「にゅー」ですね。
これだとスウェーデン語として聞いたとき、
はっきりした発音に聞こえづらい可能性があります。

もちろん日本語と同じように発音して
通じる音もたくさんありますが、
Yに関しては、特に長いYでは
どの音を発音しているのかという自分の意思が
相手に伝わりにくくなる可能性があります。
ちょっと気をつけるだけで、伝わりやすさが
随分と変わるはずです。


長くなりましたが、
Yの発音、どうでしたか?
スウェーデン語の勉強応援してます。
一緒に頑張りましょう。

練習の参考にこちらをどうぞ。

 

youtu.be

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【語学 スウェーデン語 文法】HuvudsatsとBisatsの違い

はじめに

スウェーデン語には
HuvudsatsとBisatsという用語があります。
Huvudsatsは主な情報、
Bisatsはより詳しく説明するような情報といったところ。
HuvudsatsとBisatsの間に、いくつか文法の違いがあります。
スウェーデン語を聞いていて
「あれ?なんでそう言うの...?」という
疑問が、これでひとつは解決するはずです。

 

どこからどこまでがHuvudsats?
Huvudsatsは「主語+動詞」
Bisatsは「Bisatsinledare+主語+動詞」で構成されます。

「Jag vet att han är sjuk.」という文を例にします。
この文の主な主語はjag、動詞はvet。
この主語と動詞は文の最後まで変わりません。
なのでHuvudsatsは文の全て、
つまり「Jag vet att han är sjuk.」です。

ここで気をつけないといけないのは、
「Jag vet」だけがHuvudsatsではなく、
文の全部がHuvudsatsなのだということ。
Huvudsatsはある主語とある動詞が
続くところ最後までを含みます。
なので、例えば「Jag vet att han är sjuk.」では
一つのmening、一つのHuvudsats。
(主語jag+動詞vet)
でも「Han sitter och hon står.」では
一つのmeningですが、Huvudsatsは二つです。
(主語han+動詞sitter、そして主語hon+動詞står)

 

BindeordとBisatsinledare
最初の例文「Jag vet att han är sjuk.」で、
それではhanは何なのでしょう。
なぜ「Jag vet att han är sjuk.」は一つのHuvudsatsで、
「Han sitter och hon står.」は二つのHuvudsatsなのか。

attとochという小さな単語には、
共通点と、大きな違いがあります。

attはBisatsinledare、または
Underordnade konjunktionerや
Subjunktionerと呼ばれる単語の一つ。

ochはBindeord、または
Samordnande konjunktionerと呼ばれる単語の一つ。

このBindeordとBisatsinledareの共通点は
satsを結びつける役割をすること。
大きな違いは、BindeordはHuvudsatsを結びつけ、
BisatsinledareはHuvudsatsとBisatsを結びつけること。

なので、「Jag vet att han är sjuk.」は
一つのmening (Jag vet att han är sjuk.)
一つのHuvudsats (Jag vet att han är sjuk.)
そしてその中に一つのBisats (att han är sjuk.)。
「Han sitter och hon står.」は
一つのmening (Han sitter och hon står.)
二つのHuvudsats (han sitter, hon står)なのです。

Bindeordは他にもmen, eller, såなど、
Bisatsinledareはeftersom, för att, omなどがあります。

 

それはわかったけど、なぜ大事?
ではなぜHuvudsatsとBisatsを
区別することが大事なのか。
スウェーデン語だからこその理由があります。

スウェーデン語は、文法で意図を表現する言語です。
例えば日本語では「今日行く。」と「今日行く?」の違いを
全く同じ単語の並びで、声の音程の高低で表しますよね。
スウェーデン語でも同じことができないことはありませんが、
例えばDu går dit idag? は全ての状況で通じると言うよりは、
限られた状況でないと自然に聞こえない表現です。
スウェーデン語では、例えば質問の場合、
音程の高さよりも、動詞を先、主語を後にすること、
つまり文法によって質問という意図を表現します。

HuvudsatsとBisatsでは文法に違いがあります。
この違いによって、文の中で何が主な情報で
何が細かい説明なのか、区別するのです。

Bisatsの特徴は3つ。

1. BisatsはBisatsinledareのあと主語と動詞が続く。
これは上に説明した通りで、
BisatsがBisatsであるためには
Bisatsinledareが必要です。
そして、Bisatsはrak ordföljd(主語+動詞)を好みます。
Bisatsでomvänd ordföljd(動詞+主語)を使うことは
許される場合も多少ありますが、ルールが決まっていて、
それ以外は適切ではありません。

2. Bisatsは単独で機能することができない。
「Jag vet att han är sjuk.」とは言えても、
「att han är sjuk.」だけは言えません。
誰かが言ったことなのか、はたまた間違った情報なのか、
何もわからないからです。
Bisatsは必ずHuvudsatsに所属しなければ
意味を成しません。

3. Bisatsではsatsadverbは動詞の前に来る。
これがHuvudsatsとBisatsの最も大きな違いです。
スウェーデン語学び始めるとき
「inteは動詞のあとに来る!」と口すっぱく教わります。
なのに、あるとき「Han säger att hon inte jobbar idag.」
のような文章を見て、違和感を感じたことはありませんか?
inteが動詞の前にある...?なぜ?

inteはsatsadverbと呼ばれる単語の代表です。
satsadverbは他にkanske, alltså, dessutomなどがあります。

satsadverbは、Huvudsatsでは動詞のあとに来ますが、
Bisatsでは動詞の前に来るのです。

 

このことを考えながらいろんな文を見てみると
今まで疑問だった文も納得がいくのではないでしょうか。

長くなりましたが、
HuvudsatsとBisats、どうでしたか?
スウェーデン語の勉強応援してます。
一緒に頑張りましょう。

 

【スウェーデンの庭】寒い夏 グリーンピース

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夏至が近い。

一年で今が一番明るい時期。

私が住むところは、北スウェーデンが始まる

スウェーデンのちょうど真ん中辺りのところで、

夜11時にやっと夕暮れが始まる。

空が真っ暗になることはない。

 

今日の最高気温は15度、最低気温は10度。

明日の最低気温は6度らしい。寒い。

 

スウェーデンは夏が短いから

庭いじりができる期間が短い。

北に行けば行くほど、夏の始まりが遅く、

秋冬の始まりが早い。そして夏も気温が上がらない。

私の住む地域で、外で「普通に」庭いじりができる期間は

だいたい2、3ヶ月くらいじゃないかと思う。

「普通に」というのは、外でじかに地面に種をまいて

種が外でも立派に育ってくれる季節とでも言おうか。

 

スウェーデンのガーデナーの多くが

その寒く短い栽培期間を少しでも長くしようと

あらゆる工夫を凝らしていて、すごいと思う。

その創造性に刺激されて、私も野菜を育ててみることにした。

 

グリーンピースKelvedon Wonderが実をつけた。

4月末に室内で種を植えて、

気温がだいぶ暖かくなった6月初めに外に植えた。

室内でなんの支えもせず放っておいたから、

互いに絡まり合ってしまった。

 

実、早く大きくなれ。

【移民社会スウェーデン】デスノート

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友達に「デスノート見たことある?」と聞かれた。
「ない!」私は答えた。「面白いと?」
「めっちゃ面白いよ。今から見てみる?」
「おーいいね。」

ここまでは普通の話。

普通でないのは、

ここで私にデスノートを勧めたのは、
日本人ではなくシリア人だったということ。
そしてここは日本ではなくスウェーデン。

彼女の母国語はアラビア語。
私の母国語は日本語。
私たちは共通言語スウェーデン語で会話する。
でも私たちは、たまにお互いの母国語で
話そうとしてみるという関係を持っている。
めちゃくちゃに意味がわからなくなって
笑い転げるというのが前提で。

私はアラビア語でほぼ何も言えないのに
友達は、なぜか知っている
「ワカリマシタ」「ハイ」などと言ってくる。

なぜそんな言葉を知っているのかと
尋ねたとき、友達はアニメのデスノートを
見ていたという話になったのだ。
「私コナンも好き」友達は言った。

アメリカやヨーロッパで
アニメが見られていることはもちろん知っていた。
でも、それがアラブの世界でも楽しまれている
というのはあまり考えたことがなかった、
と気づきハッとした。

友達に私もデスノート見てみたいと言うと
Youtubeでアラビア語検索し
デスノートを見つけてくれた。

私は聞こえてくる日本語の音声で、
友達はアラビア語で書かれている字幕で、
同じものを見て、理解し、
スウェーデン語で感想を言い合った。

日本のアニメはやっぱりすごい
なんていうことよりも、

一つの言語で生活することが
私にとっても、世界にとっても、
年とともにどんどん少なくなっていく。
知っている言語が増えると、
その先にさらに自分が知らない言語が、文化が、
山ほどあるということを知る。
そういう生活では、自分がいかに
「同じ」よりも「違い」に囲まれているかを
意識せざるを得ない。

しかし、しばしば予期せぬところに、
共通点を見つける。
共通の理解を築こうとする努力の種が、
たまには実らず、たまには実る。
そんなとき、どんなに小さくても、
共通点を見つけたときの安心感や喜びは
言葉に代え難い。

完全なる理解は程遠いし、
厳密に言えば無理なのだろう。
どうしても互いへの限られた理解しか
得られないのだけれど、
小さな努力を積み重ねるほか、ない。

「デスノートみたいなもの本当にあると思う?」
やけに真剣に友達は聞いた。
「いやあ、ないやろうと思うよ」
私はポテチを食べながら答えた。
「ふうん」
私は友達に自分自身はどう思うのか聞くのを忘れた。
なぜあんなに真剣に聞いたのだろう。

デスノート、面白かった。

【移民社会スウェーデン】シーマの喧嘩

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暖炉で火を焚いている。

火がたまに青くなる。
青という色は不思議だ。
冷たいというイメージがあるのに、
強く燃える炎も青い。
青はシーマの一番好きな色。

シーマは西アジアのある紛争地域から来ている。
10代前半で結婚させられ、
10代半ばで最初の子を産んだ。
旦那となった人は、
シーマのお父さんの友人。
借金が返せなくなったお父さんが
娘との結婚を提案し、その相手にシーマが選ばれた。
「ある日朝起きたら、
周りに人が座って拍手をしていた。
どうしたの?と聞いたら、
おめでとう、あなた結婚が決まったよ、
と言われたのよ」と話す。
旦那の暴力から逃げるため
数年前スウェーデンに渡った。

先日、シーマとカリールが喧嘩をした。
シーマはこれまでの人生を男性によって左右され
男性によって破壊され続けて来たため
男性について全く良く言わない。
カリールはそれを、
シーマがどうしてそこまで一般論として話すのか、
理解ができない。
彼らは知り合って間もなく、
お互いの歴史をまだあまり知らない。

シーマは、女性の権利が認められず
強い男性の権威のもと、女性が厳しい生活を
強いられることが多い文化で、
実際に犠牲を強いられて生きてきた。
カリールは、シリアで大学を出て、
自国では小さいながら自分のビジネスも持っていた青年。
彼自身は、自分の人生のために他人の人生を
犠牲にしようとは思っていない。

たくさんの面で異なる二人。
二人に共通するのは、共にイスラム教徒であるということだけ。
こんなに違うのだけど、宗教は同じ。
喧嘩の理由のどこかに、どこか隅っこに少しだけでも、
あなたの文化は私の文化と同じという
思い込みが互いの中になかったか、と思った。

シーマとカリールの話を聞いていて、
本当に、イスラムの文化というふうに
一括りにはできないのだなと思った。
国が違うからだという話になるかもしれないけど、
じゃあたとえ一つの国でも、ある国の文化と
一括りにすることはできない。

人はある家族文化、地域文化に生まれるのだろうと思う。

その家族文化と地域文化は
さらに大きな国や宗教などに影響を受けているのだけど、
それぞれ異なる経済状況、歴史、自然環境、気候など
あらゆる要素の影響を受けるから
結果似た部分が多少ある、全然違う文化になる。

人が自分自身直接関わりが持てる文化は、家族と地域。
それよりも大きな文化は、
自分の文化の一部を説明するけれど、全てではない。
イスラムという文化は、
シーマとカリールの文化の全てを説明できない。
私が日本人というだけでは
私という人間を何も説明できないのと同じように。

暖炉の火が消えようとしている。
もうすぐ寝る時間。

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【移民社会スウェーデン】カリールは生きている

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先日新しい友達のカリールくんを食事に呼んだ。
うちに来るのは初めてだったので
ちょっとだけ緊張しているみたいだった。

カリールは、シリア出身。
2年前にスウェーデンに来た。
彼は、基本的に静かだけど、
話すときは決まって冗談を言おうとする。
あまりにクールな雰囲気だから、
冗談を言っているのかどうか
人に気づかれない時もある。
スウェーデンに来て日が浅いのに、
スウェーデン語の難しい単語や文法をよく知っていて、
間違いを恐れずに積極的に話す印象がある。

緊張していたカリールに
私も何を話したらいいのかわからなくて
そういうときに限って話題が思い浮かばなくて
何を話していたのかあんまり覚えていない。

彼の家族の話になったとき、
両親と兄弟姉妹はエジプトやリバノンなどに
散り散りになって住んでいて、
カリールはたった一人でスウェーデンに渡ったと知った。
カリールも、難民として居所を転々とする中で
ヨーロッパに渡ることを決意し、
密航業者に莫大な金額を払い、小さなゴムボートに乗った。
話すカリールの顔はこわばっていた。

彼の乗ったゴムボートは、陸にたどり着く前に沈んでしまう。
ボートから落ちたときに彼らは気づく。
密航業者から与えられたライフベストが
使い物にならないものだったことを。
だまされた。

100人を超える人が溺れ死ぬのを見ながら
カリールは必死に泳ぎ、陸に辿り着いた。

私はそういう話を聞くとき、
どういう反応をしたらいいのかわからない。
特に、今日も明日も何も起こらないという錯覚が
簡単にできてしまうような
暖かなリビングのソファーの上で
隣に座っている人の目は
私の見えない暗い宙を眺めている。

私は生まれてから一度も
着る服がなくなった経験がない。
食べ物を食べなかった日は一日もない。
住む場所がなくなったこともない。
大災害などで大きな被害にあったこともない。

なんと幸運なことだろう。

身体が強くてよかったね、
泳ぎ方を知ってて、よかったね、
なんていうことを、ぽつりと言うことくらいしか
できなかった。

「うん」
重くなった空気を察してか、
カリールが言った。「生きていることが嬉しい」
だいぶ悲しそうな笑顔だった。

話を変えたくて、
彼女とはうまくいってるか聞いたら
なんと彼女と別れたところだった。
私、ほんとごめん、と思った。
そんな話しかできんで。

来てくれてありがとう、
話してくれて、本当にありがとう、
と最後に伝えた。
またここに来てくれたらいいなと思う。

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